九州電力やらせメール問題検証サイト

メールマガジン

2011/10/12

【九州電力の「経営者の暴走」を止めることはできるのか ~日本型コーポレートガバナンスと監督行政の真価が問われている~】

 9月30日に、国主催の説明番組に対する賛成投稿要請(いわゆる「やらせメール」)問題等に関する第三者委員会報告書を公表した九州電力は、同公表と併せて『第三者委員会からいただきました今回問題の本質や、再発防止、信頼回復に向けての提言及び要望等につきましては、社内で早急に検討した上で、当社の「最終報告書」に反映し、経済産業省へ提出することとしています。』とのコメントを出しただけで、その後10日以上経った現在も、報告書の内容に関する会社としての、或いは経営トップとしてのコメントは全く行っていない。

 そこで、近く九州電力が経済産業省に提出する予定の最終報告書の内容が注目を集めており、その報告内容に関して、『第三者委員会が問題の原因と指摘した「佐賀県との不透明な関係」を認め、(中略)第三者委がまとめた再発防止への提言を全面的に採用する提言をまとめた』(10月6日付西日本)、「知事の発言の真意とは異なるメモが発端」とする見解の報告書を経産省に提出する』(10月7日付読売、毎日等)など様々な報道が行われている。

 第三者委員会報告書は、今回の一連の問題について、原発事業をめぐる環境の激変に適応し、事業活動の透明性を格段に高めなければならなかった九州電力が、その変化に適応することができず、問題表面化後の対応も含め、企業としての行動が多くの面で不透明であったところに問題の本質があるととらえている。

 このような第三者委員会報告書を、九州電力が、どのように受け止め、今後の企業活動にどのように活用していくのかが、経産省に対する報告書で示されることになる。その報告の内容が、今回の一連の問題で信頼を失墜した同社が、地域社会からの信頼回復を回復できるかどうかの鍵を握っていると言えよう

 そこで、最終報告書で詳細に述べた第三者委員会の事実認定、原因分析及び提言の相互の関係を改めて整理し、九州電力の経産省への報告の注目点について解説しておくこととしたい。

最大のポイントは第三者委報告書の事実認定を受け入れるかどうか

 第三者委員会報告書は、九州電力の企業行動の「不透明性」を二つの面から指摘している。

 第一に、公開討論会での「仕込み質問」や説明番組への「やらせメール」のような九州電力がとった行動自体の問題である。

 その典型的な事例と言えるのが、知事公舎での面談における古川知事の発言とそれを受けて九州電力がとった行動である。佐賀支店長作成のメモによれば、古川知事の発言は、玄海原発再稼働に向けてのシナリオの中で「県民向け説明会」を重要なステップと位置付け、同説明会の番組への投稿の中で「発電再開容認の意見」の割合が増えることを期待し、それを九州電力側に伝えていた。古川知事は、自ら玄海原発再稼働に向けてのシナリオを描き、九州電力と外形的には距離を保ちつつ、実際には緊密な協力の下に、再稼働に向けてのステップを踏んでいこうとして上記要請を行った。このような原発立地県の知事から要請を受け、原発再稼働の是非という重要な決定に影響を与える目的で、組織的に行われたのが、九州電力の賛成投稿要請であり、そのような行為を、原発立地地域の住民、県民、国民に一切知らせることなく行ったことが、第一の「不透明性」である。

 そして、もう一つは、不透明な行動の問題を指摘された後に九州電力がとった対応の「不透明性」の問題である。

 報告書では、九州電力が、過去の原発問題をめぐる不透明なやり方について、真相を明らかにする方向で透明化するのではなく、逆に、事実を隠蔽したり歪曲したりして、真実解明に逆行する方向で行動したことも、広い意味での九州電力の企業行動の「不透明性」の問題としてとらえている。その最たるものが、知事公舎での面談における知事発言に関して、「知事の発言の真意とは異なるメモが発端であり、知事発言は発端ではない」などという不合理な「当社の見解」を公表し、自社の幹部社員が「真意と異なるメモ」を作成したことばかりを強調して古川知事を擁護する姿勢を取り続けた行為である。

 九州電力が第三者委員会報告書を受け入れるというのは、この二つの意味の「不透明な企業行動」を解消することなのである。

 知事公舎での古川知事の発言というのは、まず、第一の「不透明性」の核心である。それに加えて、九州電力が、知事発言が賛成投稿要請の発端だったことを殊更に否定する主張を繰り返したことは第二の「不透明性」の核心である。

 九州電力側が、第三者委員会報告書が公表された後においても、なお、知事発言が発端であったことを否定する主張を繰り返すとすれば、それは同報告書の指摘を根底から否定するだけでなく、報告書の指摘に反する行為を敢えて繰り返すことにほかならない。

 刑事裁判に例えれば、覚せい剤の自己使用で起訴された被告人が、公判廷で、裁判官の前で、注射器を取り出して覚せい剤を使用する行為に等しいのである。

 九州電力が、第三者委員会報告書を真摯に受け入れるというのであれば、古川知事の発言が九州電力の賛成投稿要請の発端だとする第三者委員会の認定を受け入れることが大前提である。

 その大前提が充足されない限り、九州電力がいかなる措置をとっても、「第三者委員会の提言を受け入れた」ということにはならない。報告書の提言と同様の措置をとったとしても、それは、報告書とは無関係に、同社の独自の見解に基づいて行ったものに過ぎない。

「真意と異なるメモが発端」との見解は論理的にあり得ない

 第三者委員会に調査・検討を委託した九州電力が、自ら公表した第三者委員会報告書の指摘とは異なった独自の社内調査結果を監督官庁の経産省に報告すること自体も、常識では考えられないことである。しかし、それ以上に問題なのが、その「社内調査結果」なるものの中身である。第三者委員会報告書との関係を問題にする以前に、そもそも、九州電力が「当社の見解」などと主張してきた、「知事発言ではなく、真意と異なるメモが発端」とする見解自体が、論理的にも、客観的にもあり得ないものなのである。

 そもそも「真意」というのは、客観的な発言内容とは別個の内心の問題であり、本来、聞く側にも、メモを取る側にも知りえないものである。真意が実際の発言内容と異なるのであれば、発言した知事の側の問題であり、九州電力側の行為とは関係ないはずである。

 もっとも、メモ作成者が、発言の前後に、発言者から「真意」が発言と異なることを打ち明けられていたとか、メモが捏造され、実際の発言とは異なった内容のメモが作成されたというのであれば話は別である。しかし、九州電力側もそのようなことは一切主張していない。

 メモが発言内容を正確に記載したものである以上、仮に発言者の真意がメモの記載と異なっていたとしても、そのメモを認識して行われた行動が、メモ記載の当該発言を発端とするものであることは自明の理であろう。つまり、「知事発言ではなく、真意と異なったメモが発端」とする九州電力側の「当社見解」というのは、そもそも、論理的に全く成り立ちえないものなのである。

 また、客観的な事実経過からも、本件賛成投稿要請の発端が「メモ」であるとは絶対に言えない。決定的な事実は、この一連の賛成投稿要請を実行又は指示したのが、面談に同席していた副社長、佐賀支店長だということである(7月14日付け社内調査報告書でも、副社長ら3名が「事業者である当社から発電再開容認の投稿を増やすために『当番組を周知』するよう指示した」ことを問題行為と認めている。)。

 彼らの行動は、面談で直接聞いた知事の話を発端とするものであり、メモを発端とするものではない。メモが賛成投稿要請に至る因果の流れに影響を与えたのは、原子力発電本部のグループ長による投稿要請だけであり、もう一つのルートである佐賀支店長からの指示による投稿要請はメモとは直接的な関係ない。「メモが発端」という九電の見解は、客観的な事実経過にも反するのである。

 支店長作成のメモの正確性についても、知事発言がメモと同様ないし同趣旨であったことは、第三者委員会報告書に別紙として添付されている赤松弁護士チームの報告書において、メモの作成経緯、作成者の供述等により詳細に認定されており、疑う余地もない。

 しかも、同報告書に記載されているように、九州電力の松尾会長が、面談メモの記載について電話で古川知事に確認した際に、知事自身が「そのような話をした気がする」と言って、メモと同趣旨の発言をしたことを認める発言をした旨述べていること、同社の真部社長も、本件の発端に関して「知事のしゃべりすぎ」を指摘していることなどから、知事発言が発端であることは、弁護士チームのヒアリングに対して、同社の経営トップも認めていることなのである。

 九州電力側の対応の原因

 論理的にも客観的にもあり得ない「見解」に固執し、それを経産省への報告にも盛り込もうとしているとすれば、それは、公益事業者として、社会常識に反する行為であり、それによって、九州電力に対する社会の信頼が一層失墜することは避けられない。九州電力の経営トップがそのような行為を敢えて行おうとするとすれば、それはいかなる理由によるのであろうか。

 真部社長は、第三者委員会の設置後、上記のような「知事の発言の真意とは異なるメモが発端」との見解を対外的に公言し、九州電力側は、第三者委員会の中間報告に際しても、「知事発言は本件と無関係なので調査の対象から除外してほしい」などと委員会に要請した。そして、第三者委員会側がその要請を拒絶し、同委員会中間報告で、知事発言が本件の発端であるとの見解が示されるや、「知事の発言の真意とは異なるメモが発端」だとして中間報告に反論する「当社の見解」を同社のウェブサイトで公表するなど、社外の有識者からなる第三者委員会に自ら調査・検討を委託した企業としては考えられない行動を繰り返してきた。

 今回、その第三者委員会報告書の事実認定を受け入れるとすると、既に九州電力側がウェブサイト上で公表している「当社の見解」が誤りであったことを認めて撤回せざるを得なくなる。同社の独自見解の公表などの対応が経営トップ主導で行われてきたことは明らかであり、その見解を撤回すれば経営トップに重大な経営責任が生じることは避けられない。

 九州電力の経営陣が、問題の本質は経営陣の姿勢、方針にあるとして経営責任を指摘する第三者委員会報告書を無視し、これまで行ってきた独自見解の公表等の非常識な対応を反省することもなく、その「見解」に基づいて経産省に報告を行おうとしているとすれば、それは、現在の経営体制を維持しようとする単純な「経営者の暴走」と言わざるを得ないのである。

 「経営者の暴走」を止めることはできるのか

 このよう経営体制維持のための「経営者の暴走」を抑止するためのシステムが、会社のコーポレートガバナンスである。

 では、現在の日本の会社法制度に基づくコーポレートガバナンスによって、今回のような九州電力経営陣の暴走を止めることは可能であろうか。

 まず問題となるのは、このような「経営者の暴走」が九州電力という会社に、どういう不利益をもたらすのか、という点である。それが、会社に具体的な損害を与えるのであれば、それを放置する取締役には善管注意義務違反(会社法330条、民法644条)、監査役には差止め請求義務違反(385条)が成立し、損害賠償義務を負うことになる。

 福島原発事故によって「絶対安全神話」が崩壊した後、日本人の多くは原発の客観的な安全性だけでなく、それを保有し稼働させる電力会社が、万が一の事故の際にも最大限の対応ができ、迅速に十分な情報を開示することなどに関して信頼できるかどうかという点に重大な関心を持っている。

 そういう状況の下で、上記のような「経営者の暴走」によって九州電力への社会の信頼が一層失墜する事態になれば、現在、定期検査によって停止中の玄海原発等の原子力発電所の再稼働に対する地域住民、国民の理解を得ることは一層困難になり、再稼働が更に遅れる結果になることは避けられない。それによって同社に莫大な損失が生じることになれば、「経営者の暴走」を容認した九州電力の取締役、監査役が、株主代表訴訟によって損害賠償請求を受ける可能性もないとは言えない。

 また、そのような法的義務とは別に、公益事業者である電力会社の取締役、監査役、とりわけ社外役員には、会社の経営者が、法令違反だけではなく、社会倫理規範に反する行為を行うことを抑止すべき社会的責任がある。

 今回の「やらせメール」問題は法令違反の問題ではない。第三者委員会の設置も、法令上の根拠に基づくものではなく、経営者の判断によって業務執行の一環として行われたものである。しかし、第三者委員会委員会の設置の原因となった「やらせメール」問題は、法令には違反していなくても、厳しい社会的批判の対象となった。また、自ら設置した第三者委員会報告書を受け入れず、論理的にも客観的にもあり得ない独自見解を主張し続ける行為も、法令には反していなくても、経営者にとって社会的規範に反する行為である。社外役員は、臨時取締役会等の場で適切に対応し、そのような「経営者」の暴走を止めるために最大限の努力を行うべき社会的責任を負っていると考えるべきであろう。

「最後の砦」としての経産省の対応

 もう一つ「経営者の暴走」を抑止する役割を担うのは監督官庁の経産省である。

 経産省は、電気事業法に基づき、電気事業者に対する監督権限を有する。同法106条3項より、「電気事業者に対し、その業務又は経理の状況に関し報告又は資料の提出をさせることができる。」とされており、今回の国主催の説明番組に関する賛成投稿要請の問題に関して九州電力に報告を求めているのも、同条項の報告徴収権限を背景とするものであろう。

 経産省に形式上民間会社である電力会社の事業を監督する権限が与えられているのは、公益事業者として電力会社には、地域独占と総括原価方式による利益の保障という民間企業としての特殊な経営環境が与えられ、しかも、その事業が、電力供給という国民生活の基盤を担うものである上、原発施設の運営などが国民に重大な影響を及ぼす可能性があるからである。

 そのような観点から電力会社に対する監督権限を与えられている経産省には、電力会社の経営の健全性確保のために権限を適切に行使すべき責務がある。九州電力が、第三者委員会報告書の事実認定を無視し、前記のように論理的にも客観的にもあり得ない内容の見解に基づく報告を行おうとしても、経産省が、監督官庁としてそれを容認することは考えられない。玄海原発再稼働をめぐって発生した今回の一連の問題は、原発事業者の九州電力にとっても、原発の運営に関して事前了解を与える立場の佐賀県にとっても、福島原発事故による原発事業をめぐる急激な環境変化に適応できなったことに問題の本質がある。

 それと同様に原発事故への対応をめぐる問題や、その後表面化した原発に関する説明会等での「やらせ」問題等で、大きく信頼を失墜した経産省にも、電力業界の監督官庁として原発事故による急激な環境変化に適応することが求められている。

 九州電力第三者委員会報告書が明らかにした、従来からの電力会社と原発立地自治体との不透明な関係を是正し、原発をめぐる重要事項を判断するための公正で透明な枠組みの構築に向けてリーダーシップを発揮することができるかどうか、経産省自身の信頼回復にとっても大きな試金石である。

 九州電力問題は、現行会社法の枠組みの下での社外役員を中心とするコーポレートガバナンス、競争制限による特殊な経営環境を与えられている公益事業者への監督行政という二つの日本的システムの真価を問うものと言えよう。

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